特異点の解消






多項式 x^{4}-x^{2}y+y^{3}=0 で表される集合 V の特異点を解消して みましょう。原点Oは,この集合の特異点です。

「原点を中心とした V のブローアップ」のことを B_{O}(V)と書きます。

特異点を解消すると次のようになります。







特異点の解消



このように、ある部分を引き伸ばして二つ以上の座標を作る ことをブローアップといいます。 特異点のところを中心にしてブローアップすることで特異点を解消することができます。

もともとひとつだったものが二つになるのは数学的に自然でないと感じる人は、 「二つの座標が実はひとつのものの異なる側面をみたものである」という気持ちになって、 二つの座標のもともと同じだった点を貼り合わせると次の図のようになります。 これが射影空間を用いた特異点の解消です。

偶数次元の射影空間は一般に向きづけ可能ではありません。 下の図のように「メビウスの帯」のような形をしています。


「向きづけできない多様体が現実の世界で必要になることがあるのか」と思われるかたも 多いかも知れませんが、「多項式=0」の集合があれば特異点があり、特異点があれば射影空間があるので、 向きづけできない多様体は、とてもいつも存在しています。


(注意)なお、ブローアップは絵で理解することができる(?)「幾何学的な操作」なのですが、 実は「純粋に代数的な操作」として定義できます。代数と幾何の等価性が大切である理由のひとつです。







特異点の解消



「多項式=0」で定義された集合のことを代数的集合といいます。 任意の代数的集合は,上記と同じ操作を繰り返すことで 必ず特異点を解消することができます。(広中先生の定理)。


「統計モデルにおいて特異点の解消が見つかったとして, それで何かわかるのか」と感じる人も多いでしょう。 一見すると特異点を解消しても何もわからないように 思うかもしれませんが,そうではありません。


ランダム・ハミルト二アンの代数的構造が解明されると, そこから自由エネルギーや汎化誤差の挙動を導出することが 可能になります。

Algebraic Geometry and Statistical Learning Theory



(注意)もともとの代数的集合 V : x^{4}-x^{2}y+y^{3}=0 は2次元の実ユークリッド空間に 入っています.また,これの原点を中心とするブローアップ B_{O}(V) は2次元の実射影空間に 入っています.この例のように,特異点解消を行う場合には代数的集合を入れている多様体の次元は 変わりません.言い換えれば,特異点の解消は高次元の空間に持ち上げたからできるのではなく, 射影空間を使って特異点を引き伸ばしたからできるのです.

(注意)同じ次元の多様体に入っていると便利なことがあります.もともとの2次元ユークリッド 空間上に定義された積分を射影空間上の積分で書くことができるからです.

(注意)代数幾何学では,B_{O}(V) が V の「本質的な部分」であると考えてこれを「狭義引き戻し」といいます.一方, 例外集合は「本質的な部分ではない」と考えることが多いようです.狭義引き戻しと例外集合の和集合を「全引き戻し」 と呼びます.確かに図形としての V の重要な部分は B_{O}(V) が保持しており,例外集合は射影空間を用いたことが原因で 現れた陽炎のようなものなのかも知れません.しかしながら,解析学を研究する場合には,例外集合をなかったものと することはできません.実際,上記のようにユークリッド空間上の積分を射影空間上の積分として計算する場合には, 積分値に例外集合は多大な影響を及ぼします.

(注意)ブローアップ B_{O}(V) を求める場合,まず代数的集合 V から原点を取り除いておき,しかる後に 射影空間に移動して対応する集合を求め,最後に射影空間での閉集合を取ります(閉集合はザリスキー位相で取りますが, 普通の位相でとっても同じになります).この場合,一番はじめに原点を取り除いたことで,B_{O}(V) に例外集合は 含まれなくなってしまいます.これはとても面白い考えかたです. 代数的集合に対してブローアップを求めてみるということを最初に考えたのは誰なのでしょうか. (しかし,この繰り返しで任意の特異点が解消できるとは最初は信じられないです).

(注意)もともとの2次元ユークリッド空間上で解析的でない関数でも,射影空間に移ることにより解析関数に なる場合があります.このようにブローアップにより解析関数になる関数のことをブロー解析的関数といいます. ある関数がいったん解析関数になってしまえば,絶対収束するテーラー展開によって書くことができ,そこでは 項別微分や項別積分を行うことができるので,ブロー解析的関数は大変に有用な概念です.実際, 特異点を持つ対数尤度関数も,この方法で取り扱うことができるようになるので,この考え方は統計学に絶大な 応用があるということができます.ところで,ユークリッド空間上に与えられた関数がブロー解析的であるか どうかを判定する方法はあるのでしょうか.これは純粋数学として大切な問題だと思われますが,現状では まだ完全な解決には到達していないのではないかと思われます.特異点論と代数幾何学のさらなる発展は, 数学だけでなく,より広い分野においてもとても大切なことであると思います.










(余談)このページの作者が学生だったころ(1980年代), 広中平祐先生は京都大学数理解析研究所の所長をされていました。 特異点解消定理の偉業(1964)は日本人なら誰でも(数学を専攻していなくても) よく知っていることでした。 京都大学北部キャンパスを歩いていらっしゃる広中先生のお姿が遠くに見えたとき, 『・・・あの人が広中先生なんだ・・・』と思ったことをよく覚えております。

代数幾何学は純粋数学の中でも格別に抽象度の高い分野です。代数幾何学を専攻していたのではない私も 「特異点解消定理」の名前を知っていましたが,定理のステートメントを 述べられるわけではなく,具体的な微分積分の計算をしている自分と関係があるとは 夢にも思っていませんでした。

時が流れて1998年ころ,産業に役立てるための積分計算を行う上で,特異点をこそ 考察しなければならないという必要に迫られて,M.F. Atiyah 先生が書かれた短い論文

M.F. Atiyah. Resolution of singularities and division of distributions. Communications of Pure and Applied Mathematics, Vol.13, pp.145-150, 1970.

を読みました。この論文は『広中の定理:特異点解消が微分方程式論においていかに大切であるかを 説明する』という論文です。この論文を読んで初めて特異点解消定理が何を主張しているかを 理解することができ,実務に応用することができるようになりました。

フィッシャーの統計学が成り立たない領域において,それを含む広汎な統計学を作るために, 特異点解消定理は極めて大切な役割を果たします。その結果,統計学において何が本質で あるのかが明らかになり,また実世界の課題に対して具体的な解決がもたらされました。

それからさらに多くの時間が流れました。今では 代数幾何学は純粋数学として高さと深さを増しただけでなく, 応用の裾野を大きく広げています。「応用代数幾何」という名前の国際会議もあるくらいです.

2014年は特異点解消定理が論文誌 Annals of Mathematics に 掲載されてちょうど50年になります。純粋数学の成果が実世界の課題において 本質的に役立つまでには,そのくらいの年月が必要になると いうことでしょうか。